須賀川市のみどころ
ハンドブック

すかがわ坂物語

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すかがわ坂物語まちなかマップ

(5)御隠居岳の坂
須賀川生まれの明治時代の銅版画家・渡辺光徳も作品に残した須賀川八景の一つ「御隠居岳」の脇を通る急な坂。

(9)新地の坂
明治から昭和初期まで、現在の須賀川商工会館がある場所から十日山にかけて三軒の遊郭があった。新地と呼ばれ多くの男女の思いが絡み合った場所であった。

(10)治部稲荷坂
治部稲荷神社には、戦国時代末期の須賀川領主、二階堂氏の一族で須賀川城代を務めた治部大輔が祀られている。坂を下った先の前田堤には桜の古木が立ち並ぶ。

(12)十三塚坂
西側の林には、須賀川領主であった二階堂家追善供養止めの十三の土盛りの塚があった。時の経過により現在は雑木に覆われ、場所も判然としない。

(15)荒町坂(十二軒坂)
江戸時代以前からの地名が「荒町」。当時戸数が十二軒あったことから「十二軒坂」ともいわれた。和田、前田川方面に行く道であった。

(16)鍋師橋坂
この地には江戸時代まで鋳物屋があった。梵鐘、半鐘、日用品の鍋、釜などがつくられていた。下の川(須賀川)に架かる橋がある。

(17)南の黒門坂
東北電力脇にあった南の黒門は、江戸時代に設けられた黒塗りの木戸。番小屋も置かれ、朝夕に開閉された。

(18)道場下がり(蓮池坂)
「須賀川三下がり」の一つで、近くにある「金徳寺」にあった念仏道場に由来する。坂の東にある「十念寺」の付近からは清水が湧き池をつくっていた。

(20)弘法壇坂(鹿の出口坂)
諏訪明神から西川地区に行く坂道。古くは「鹿(か)の出口」ともいわれた。江戸時代以前、近くには雨呼(あまよばり)口という場所があった。

(21)長禄寺坂
坂の途中に、須賀川城主・二階堂家の菩提寺長禄寺がある。境内には最後の女城主・大乗院阿南の方の五輪の供養塔、洋風銅版画家・亜欧堂田善の墓所もある。

(24)新平坂
明治・大正時代に東京市長などの要職を歴任し多大な功績を残した後藤新平は、明治6年から9年までの4年間この坂を通り福島医学校(現公立岩瀬病院)に学んだ。

◆琵琶池の紅葉
翠ヶ丘公園にある愛宕山の下に琵琶池と呼ばれる池があります。現在は水を湛えてはいませんが、秋には池の周りの切り通し風の岩山に美しい紅葉が映え、散策に訪れる人達を魅了しています。

◆愛宕山
須賀川中心市街地東側に位置する翠ヶ丘公園の中心にある山。山上の広場には愛宕神社が建立されています。山上に続く道は、それぞれが緑あふれる格好の散策路として親しまれています。

◆亜欧堂田善像
江戸後期の銅版画家、洋風画家で須賀川の永田家で生まれた亜欧堂田善(本名永田善吉1748~1822)は、「浅間山図屏風」(油彩:国指定重要文化財)や「新訂万国全図」(銅版画)などの作品で知られています。その功績を後世に伝えていくために市内の小中学生から版画作品を募集する「田善賞」事業を実施している須賀川商工会議所青年部が、田善の生家跡に建立しました

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須賀川観光協会